面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
もともとはイノベーションが起きてフォロワーが大量に増えて、オリジナリティがなく刺激がないので最後はコミュニティが無くなるという話を面白くそして分かりやすくしたものがコミュニティの一生だが、ここ最近はもっと異なるような形かもしれない。実際のところ最後の「皆居なくなる」や「残った凡人が面白くないことをする」といったところは現実にはもう少し異なるような形の可能性が考察される。
既に面白いところや活発なコミュニティに凡人が入る
↓
面白い人を凡人が別の場所に持ち込んで相互の交流が始まる
↓
トラブルや本来出会わない人間が出会う回数が増える
↓
凡人は目立ちたいがために嘘を吹き込んだり、元いたコミュニティについて批判したり孤立させるような行動を取る
コミュニティを分裂させようと試みる
↓
元いたコミュニティのことを知らなかったりする人間は嘘を本当と思い込む
↓
トラブルが持ち込まれる回数が増えたりして、双方のコミュニティから人が消える
昨今の事情を鑑みると承認欲求という観点が先述の内容からは欠けているため、特にここ最近の「凡人」に関してしっかりと着目するようにした。昔は「自分のことをもっと見てほしい」というのが承認欲求として数えられていたが、現在はもっと激化して承認欲求ではなく承認強制とも取れる。
今の20代前後はSNSが既に手元にあるのが当たり前で、あらゆるものが数値として可視化されているだけでなく、人間関係についてもいかに「勝つかどうか」という競争に晒されている可能性もあり、それに常日頃から触れている30代以上の世代も少なからずとも影響されているかもしれない。他にも、一時期あったtwitterのフォロワー数割引等も考えると、実際の利益以上に承認欲求をいかにして周囲に強制させてより高い利益を得られるかといった傾向が最近ではある。
コミュニティではエゴの強さと方向性が合っていて、特に人間に対しての訴求や特徴が強く印象に残るほど、いわゆる人気を得ることができる。つまり承認を強制することはコミュニティにおいての発言力と直結するわけだが、これがあらゆるコミュニティで通用するとは限らない。
いわゆるコミュニティの衝突、というのもあるのだが、目立った喧嘩だけでなく「対象の人間をコミュニティに入れない」「コミュニティの活動から遠ざかる」という方法も衝突の一つとして数えられる。「あなたはコミュニティと合いません。」そんな言葉が聞こえてくるかもしれない。
特に最近のコミュニティ事情ではそんな雰囲気があると思った。