弱者ホモソーシャルを許容できなくなった

特にここ1年ほどのネット含めあらゆるものを取り巻く環境が全て攻撃の意味を含むようになった。

日本そのものが貧しいというよりは国民が自ら貧しくなっているというのが個人的な印象だ。政府が投資を勧めるからといって自分自身に原資がなければ意味がないし、そもそも時間あたりの稼ぎが少なければ投資以前に生活ができない。マズローの欲求の話に近くはなってくるのだが、そもそも生活ができない状態と思ったのなら攻撃になってしまうのだろう。

とはいえ仕事を与える立場だとしたらそんな余裕のない人間に与えることはまずしないと思う。成長する余裕があり、そして設計ができ、コントロールが出来る人間にしか渡さない。

もう一つの傾向として、弱者で良い、逃げても良い、嫌なら切れば良いという論説と、弱者男性の中にあるソーシャルがとても歪だということに気づいた。

言ってしまえば周囲の関係性をぶち壊すような、そんな関係の組み立て方を当然のようにしてしまうのだ。例えばVRCのお砂糖なんかはそうだろう。今まで通り関わるなんてことはまず無理で、パートナーの方が大事になっていく。そんな状態で周囲から隔離されることになるのだが、同時にガス抜きをする思考もなくなっていく。だから荒れる。

男性間の恋愛は男女のソレと比べると、残すものがないとか、物質による繋がりとか、まあそういうところにしかない。精神的な繋がりは期待できない。すぐ揉めたり別れる理由もそういうところにあるのだが、誰もがそれに気づかないまま安易に男性間の方が楽だから逃げに走る。

これがいかに今の日本の情勢とマッチしているかを考えたら、まあそりゃピタリと一致するだろう。

しかし男性が弱いのは許容してはならない。かといって女性が強すぎるのも問題だ。このギリギリで成り立っていたバランスを、自称恋愛強者や弱者ホモソーシャルが壊してしまう。これにはフェミニストがどうこうではない。

かつて女装をしていた頃もあったのだが、結局そのホモソーシャルに迎合できず、やめた。自分を安く売ることの意味もないし、自分が弱いという自覚がありながらも何もしないその生態系に嫌気がさしていたのもあった。

今度はVRCでもそうなのだが、ホモソーシャルの中でもパートナーというのがあるものの、結局バーチャル以上の存在には出来ない。リアルの物事から逃げて、結局どこでも同じことをするようなら最初からない方が良いと思った。だからVRCもすっぱりと入らなくなった。独占と我欲にまみれた状態になってしまったし、もうあそこに戻りたいという気持ちにはなれない。

ちなみに社会性フィルターというのも、「弱くて良い、現状で良い、合わなければ逃げれば良い」という思想が見えてしまってからは嫌いになった。一度逃げの手に入れば待っているのは自分の望む結果ではない。自分が楽になろうとするそのぬるま湯にしかならない。仮にこの社会性フィルターを使い、逃げに徹していたとして、この記事を見ているとしたら、一度自分自身の胸に問いかけてほしい。「なぜ逃げるような真似をしたのか。」「自分自身をより弱くさせているのではないか。」この2文に尽きる。

結局人間はどこまでいっても強ければ生き残る。弱ければ生き残れない。群れたとして自分個人で戦えなければ、そこまでカバーしてくれる人もいない。強くなければならない。

その現実を見ることなく死ねたら本望だろう。現実はそんな甘く見過ごしてはくれないどころか、現実の方から見せつけてくるのだ。

「お前は今まで何をしてきたのか」

そんな残酷な問いを社会という現実は投げかけてくる。耐えねばならぬ。そして強くなければならぬ。

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