人と会うことの重さがこれから増えていく

ここ1年で、人と会うことの意味がガラッと変わってしまいましたね。

前職で働いていた際に見ていたきりみんさんのブログで気になることが書いてありました。

友人などと会うこともなく、ほぼ家とコンビニの往復しかしないという生活をしていました

今は完全に女装かちょっとしたつながり以外で誰かと会うことがありませんが、以前はゲームの界隈の集まりに参加していました。今はゲーマーとしてのつながりは基本的にありませんが、そもそもの話でゲームを媒体にしなければ人と繋がれないことにここ数ヶ月で違和感を覚えるようにはなっていました。

人ってなんでつながるんだろう

そもそもの話で小学生の頃からずっと何かしらの人間関係の中で育ってきたわけですが、何だかんだで内面を出しても何も言われることはありませんでした。お互い信頼してますし、連絡は無くても何らかの形で思い出してはふと会ってみたいなことも何度かありました。ココ最近は仕事の関係で会えないとかもありますが、何も言わずともお互い理解しているような感じでした。

寂しい人は一定の確率で存在する

残念なことに「寂しい」人は必ずしも自ら望んでそうしているわけではありませんが、周囲の環境や色々な要因で「結果として」存在してしまっているのは事実でしょう。例えば「人間関係を全てリセットする癖」とか「自分の都合に合わせたい」のように自分がメインとなる理由から、「学校で不登校にせざるを得なかった」とか「引っ越しが何度もあった」みたいに環境がメインになる理由の両方あったりします。

年齢が離れていたり、趣味が違うのはさほど大きなファクターではないと思います。現に仕事やプライベートの両方でも、あまり趣味が合わない人とも付き合っていることが度々あります。まあ、それが悪い結果を生み出すことが多いわけですが。

合わない人はさっさと切られるようになる

つまりはこういうことですね。合わないというケースが増えれば増えるほど、より極端で偏った人間関係へと進展していきます。政治であれば主張の食い違い、性的であればまあ性癖の違い。

親密になれる人は自然と惹かれ合うようになる

ここ最近はこの傾向が強いです。好きでもない人はより無関心へ、嫌いな人はより嫌いへ、好きな人はより関係を密にするようになっていってます。

今後はもっと極端になっていくんでしょうね。

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